当園は昭和11年12月、成人に対する宗教教育の難しさを痛感した初代園長(故)藤岡晴光が(故)妻シズエと共に真宗木辺派光沢寺の本堂を利用して、次代を背負うおさなごたちの心に、他を思いやるやさしさと、自分で生き抜くたくましさを育てるために宗教教育をと創設しました。
大戦中、工場に動員された母親の子どもたちを育んだ本堂は昭和23年に施工された最低基準に副うべく増改築をしましたが、戦後の建築条件の最も悪い時期の建築で、初代園長逝去の直前までのねがいであった、おさなごたちに明るい園舎建設という夢を実現すべく、二代目園長藤岡昭正が社会福祉法人晴光会を設立し、現在地に移転新築しました。
年次 | あゆみ |
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昭和11年/1936年 | ・真宗光沢寺本堂、庫裡、境内を利用して光沢寺保育学園を開設 創設者(藤岡 晴光・シズエ) |
昭和12年/1937年 | ・前年12月開園のため卒園児なし。 |
昭和13年/1938年 | ・第1回生卒園(3月)6名。 ・託児数増加のため木造仮園舎建設。 |
昭和14年/1939年 | ・社会事業法による常設保育施設として承認さる。 |
昭和15年/1940年 | ・恩賜財団慈恵会より表彰、御下賜金300円を拝受。 ・恩賜財団慶福会よる表彰、御下賜金250円を拝受。 |
昭和17年/1942年 | ・厚生大臣(小泉親彦)より、社会事業法による補助金170円が交付される。 |
昭和18年/1943年 | ・移転計画中(現光沢寺敷地)、戦時特別体制のため県知事より中止命令。 ・戦時託児所設置基準による、体育訓練による心身の鍛練、規律、生活訓練に重点が置かれる。 |
昭和19年/1944年 | ・幼児は防空頭巾、住所・血液型を記入した名札をつけて登園、山口一恵保母は、園長夫婦を助け、警報の度に防空壕に子どもを誘導、避難させ、その命を守ることに全力を尽くす。 ・園長晴光僧侶団勤労報国隊々長として炭坑(貝島大の浦)に動員され、馴れぬボイラーたきで体調を害し以後ずっと喘息に悩まされ後の死因にもつながる。 |
昭和20年/1945年 | ・強制疎開により2年保育児1名となり卒園児0。(戦争中を開園を貫く) |
昭和21年/1946年 | ・恩賜財団慶福会より御下賜金500円を拝受。 ・藤岡佐規子、京都女子専門学校保母科卒業、光沢寺保育園に入職、両親を援ける。 |
昭和22年/1947年 | ・恩賜財団慶福会より御下賜金250円を拝受したが、新円切替により封鎖される。 |
昭和23年/1948年 | ・児童福祉法第35条2項による保育所として認可される。 |
昭和24年/1949年 | ・最低基準に副うべく、木造モルタル塗園舎増改築。(定員60名) ・総工事130万円。(共同募金25万円配布2回、その不足金の確保に初代園長は布教講演に全国を駆け回る) |
昭和25年/1950年 | ・旧小倉市50周年記念式典に当り、初代園長、市制功労者として表彰される。 |
昭和26年/1951年 | ・占領軍福岡司令部よりモーガン女史福岡県児童家庭課長と共に視察に来訪。 保育計画をワンダフルと賞賛される。 |
昭和27年/1952年 | ・宗教法人光沢寺の経営する保育所として認証される。 ・初代園長代務藤岡シズエ、第1回福岡県社会福祉事業大会において表彰される。 |
昭和28年/1953年 | ・初代園長藤岡晴光、第2回福岡県社会福祉事業大会において表彰される。 ・保育室増設(定員74名) |
昭和29年/1954年 | ・保育まつり 幼保一緒 |
昭和34年/1959年 | ・初代園長第7回九州ブロック保育事業研究大会(大分市)において表彰される。 |
昭和35年/1960年 | ・皆勤賞、精勤賞 本年をもって廃止 |
昭和36年/1961年 | ・創立25周年に当たり、小倉市長より初代園長夫妻感謝を受く。 ・創立25周年を記念し、園歌作成。(阿南哲朗・藤岡佐規子作曲) |
昭和37年/1962年 | ・初代園長社会福祉の功績により、福岡県知事(鵜崎多一)より表彰される。 |
昭和38年/1963年 | ・初代園長旧小倉市長(林信雄)より地方自治の功績により表彰される。 ・初代園長厚生大臣(小林武治)より社会福祉の功績により表彰される。 |
昭和39年/1964年 | ・福岡県社会福祉協議会長(原田平五郎)より優良施設の表彰を受く。 |
昭和40年/1965年 | ・主任保母藤岡佐規子、保育指針作成に伴う厚生省主催の検討会に福岡県保母代表として出席、翌日東宮御所伺候。 |
昭和41年/1966年 | ・初代園長、北九州市長より市政功労賞を受く。 ・NHK会長より幼児教育放送研究園の委嘱を受く。 ・北九州市より乳児保育奨励助成金を受け、旧本堂内陣を改増し、0、1、2歳児の積極的受け入れ開始。 ・主任保母、放送教育研究九州大会で、ラジオ生番組”チクとタク”により公開保育を行う。 |
昭和42年/1967年 | ・創設時より園長を補佐した藤岡シズエ還帰(享年66歳) ・宮内庁より優良施設御下賜金を下付さる。 ・創立30周年記念に幼児放送教育研究発表会を開催、福田保母他4職員公開保育。 ・RKB毎日、テレビ教育研究会の論文募集に応募。主任保母藤岡佐規子、教育部門入賞。 |
昭和43年/1968年 | ・藤岡昭正無給職員として園長補佐 |
昭和44年/1969年 | ・光沢寺移転に伴う空室を改増整備、定員90名となる。 ・園長晴光ジュネーブにおける国際福祉会議に参加 |
昭和45年 1970年 | ・3歳未満児保育室及び給食室増改築 ・園長晴光社会福祉の功績により叙勲(勲六等旭日単光賞) |
昭和46年/1971年 | ・定員110名に変更 |
昭和49年/1974年 | ・初代園長晴光還帰(享年74歳) ・二代目園長藤岡昭正就任 ・主任保母藤岡佐規子、第20回朝日夏季大学にて「保育者の心のゆとり」をテーマに講演 ・園長昭正民生児童委員を任命さる ・園長昭正日明小学校PTA副会長として保、幼、小の連携を図る |
昭和50年/1975年 | ・社会福祉法人 晴光会設立認可、以後本法人が光沢寺保育園の設置運営に当る ・主任保母藤岡佐規子、松下基金により北欧(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク等)の社会福祉事情視察に派遣される |
昭和51年/1976年 | ・新園舎落成、移転開園、定員120名となる(緑ヶ丘1-8-14) ・ビデオカメラ、モニターTV設置(ホール、保育室1F、2F・・・日常保育の状況を撮影し、家庭との連携に役立てる) ・藤岡主任保母、県保連訪中参観団の一員として桂林、広州、長沙等の幼児施設他参観 ・今年より毎月発行の園だよりに子育て一口メモを連載 |
昭和53年/1978年 | ・福田保母、松下基金にてスウェーデン、イギリスの福祉事情視察に派遣される ・主任保母、北九州市「友好の翼」訪中団福祉関係代表の一人として上海、北京、抗州訪問 ・主任保母、カナダ保育事情視察(バンクーバー他) |
昭和54年/1979年 | ・主任保母、全国保育協議会視察団副団長としてオーストラリア、ニュージーランド福祉事情視察 ・主任保母、全社協出版「子どもの幸せへの提言」に執筆 |
昭和55年/1980年 | ・主任保母、厚生大臣(園田直)より表彰される ・園だよりに連載中の子育て一口メモをパパ、ママへのメッセージと両親を対象としたものにする |
昭和56年/1981年 | ・園児用図書室完成(絵本1,000冊) ・全国保母会より九州ブロック子育て電話相談の委嘱を受け(10月~11月)12日間実施 |
昭和57年/1982年 | ・市の要請による延長保育開始(市内5ヶ所) ・障害児受入れ(4名) ・皆本調理士、松下基金によりヨーロッパ派遣 ・安武保母、全国保母研究集会にて「延長保育について実践発表」(宝塚市) ・RKB毎日「ママとぼく」(保育園の1日)取材放映 |
昭和58年/1983年 | ・NHK「おはよう広場」延長保育について取材放映 ・安武保母、全国保母研究集会において「延長保育」実践発表(福島県飯坂) ・保育学会第36回大会(日本女子大学)において主任保母「絵本による構文能力いの実態調査」について発表 |
昭和59年/1984年 | ・主任保母、第30回朝日夏季保育大学にて「保育所保育の在り方を求めて」をテーマに講演 ・安武保母、松下基金にてヨーロッパ福祉事情視察研修に派遣 |
昭和60年/1985年 | ・主任保母、北九州女性会議代表団の一員としてナイロビにおける国際女性会議NGOフォーラムに出席 「北九州における女性労働の状況について」発表を担当 ・安武保母、主任保母の代理として延長保育に関する厚生省のヒヤリングに出席 |
昭和61年/1986年 | ・RKB毎日 ママとぼく「おもちゃとあそび」取材放映 ・RKB毎日 ママとぼく「ボクの作品」取材放映 ・RKB毎日 ママとぼく「とんだり、はねたり」取材放映 ・50周年を迎える |
昭和62年/1987年 | ・園長昭正、民生児童委員として区協議会会長より表彰される |
昭和63年/1988年 | ・延長保育5年の歩み出版 |
平成元年/1989年 | ・園長昭正、九州社会福祉協議会連合会長より(民生児童委員)表彰 ・園長昭正、小倉北区心配ごと相談員を委嘱さる |
平成2年/1990年 | ・北九州市より一時的保育事業委託さる ・園長昭正、地域福祉功労により北九州市長より表彰 ・日本保育学会第43回大会(東雲短大)において企画シンポジウム「これからの保育内容はどうあるべきか」に主任保母シンポジストとして話題提供 ・主任保母、保育北九州に連載の「視点」を中心に「仲間たちへの定期便」を発刊 |
平成3年/1991年 | ・国際協力事業団の要請により「女性の地位向上のための行政官セミナー」集団研修として、バングラデシュ、インドネシア、パキスタン等9カ国から13名の行政官が訪園、各国の旗を作って歓迎する ・第43回全国私立保育園研究大会(水上)において中山美由紀保母、一時的保育事業について実践発表 |
平成4年/1992年 | ・ジャイカ女性行政官研修視察に来園したスリランカのバラ・チャンドラさんの要請でスリランカの子どもたちに学用品を贈る呼びかけに保育士会員の協力により約60箱のダンボールを送る ・主任保母、アジア女性フォーラムから高橋久子理事長他をフィリピンに派遣、ストリートチルドレンスラムの託児所等を目の当りにし、ユニフェムに関心をもつ ・園長昭正地域福祉功労により、全国民生児童委員協議会会長より表彰 |
平成5年/1993年 | ・ケニア、パキスタン他6ヶ国から第2回女性の地位向上のための行政官セミナー研修生 6名来園 ・日本保育学会第46回大会(福岡教育大)において、主任保母「国際化時代と幼児教育」のシンポジストに「研究者と保育実践者の連携」シンポジウムの企画・司会者となる |
平成6年/1994年 | ・主任保母、ユニフェム国内委員会北九州地域委員会の誕生により初代会会長に選任される(開発途上国の女性の自立支援は戦後のララ物資ユニセフ等で救われた子どもたちへの恩返しと思い引き受ける) ・主任保母、県立大学非常勤講師(乳児保育・)として保育者養成にかかわる ・市川喜男著「女は元気!」北九州市燦めく16人の一人に主任保母選ばれる ・日本保険福祉学会に宇部短大教授山木義雄氏と共に「保育所児におけるかみつきの研究」について発表 |
平成7年/1995年 | ・北九州市より地域子育てセンター事業を委託され、相談事業、子育て講座、サークル支援等本格的に発足する(中でもマザーカレッジは三園の力を結集して取り組む) ・三園合同の園内研修(公開保育の定例化) ・主任保母、県立歯科大学(非常勤講師)「幼児へのかかわり方」 ・同 西南女学院短期大学非常勤講師(保育原理、乳児保育)保育者養成にかかわる ・主任保母、第4回世界女性会議(北京)においてアジア女性交流研究フォーラムの一員として環境教育発表を担当 |
平成8年/1996年 | ・光沢寺保育園設立60周年 ・地域に対し子育てニューズレターの発行を開始(子育て支援センター事業) ・ジャイカの研修生も第6回と会を重ね、今回はジョルダン 、ザンビアも含め9ヶ国から9人の行政官が来園 ・第34回北九州保育研修大会において戸田保母他グループにて子育て支援センター事業について実践発表 |
平成9年/1997年 | ・三園合同記念周年”感謝のつどい”開催(ムーブ大ホール) |
平成12年/2000年 | ・乳児室増改築 ・子育て支援室増設 |
平成13年/2001年 | ・子育て情報発信としてホームページを開設。 |
平成15年/2003年 | ・北九州保育所連盟会長 藤岡佐規子就任 ・平成15年11月29日 児童福祉法の改正により保育士資格が国家資格となる。(名称:保母から保育士へ) |
平成16年/2004年 | ・休日保育事業開始 ・新潟県中越大地震被災地へ藤岡佐規子慰問 |
平成17年/2005年 | ・4月1日 光沢寺第二保育園開設 |
平成18年/2006年 | ・70周年記念事業・光沢寺創作絵本展 |
平成19年/2007年 | ・北九州市第三者評価事業参加 |
平成21年/2009年 | ・ホール改修工事 |
平成24年/2012年 | ・保育所連盟50周年記念事業「視点」発行 ・保育所連盟50周年記念式典にて藤岡昭正 永年勤続表彰を受ける |
平成25年/2013年 | ・東日本大震災復興支援事業 ひまわりプロジェクト参加 |
平成26年/2014年 | ・光沢寺保育園80周年事業(四国合同記念周年事業) ・祝賀会・光沢寺創作絵本展 |
平成28年/2016年 | ・4月29日 園長 藤岡昭正 瑞宝双光章 受賞 |